映像と日常と~estwald2002のブログ

主に映像作品の感想文を書いていきます

映画「ピーターラビット」感想

  • 2018年、アメリカ・オーストラリア・イギリス
  • 原作:ベアトリス・ポター
  • 監督:ウィル・グラック
  • 主演:ローズ・バーン、ドーナル・グリーソン、サム・ニール

  • あらすじ:
    「やぁ、僕の名前はピーター。青いチョッキが目印のウサギさ。パンツは履いてないよ。三つ子の妹といとこのベンジャミンと仲良く暮らしてる。父さんは恐ろしいマグレガー爺さんに捕まってパイにされちゃった…。僕らの味方はビアという人間の女の子。画家らしいけど何を描いてるのか見ても分かんないや。僕らの似顔絵だけは上手いんだけどね。とにかく、彼女は僕らに対してとても優しい。
    さぁて、今日もおっかないマグレガー爺さんとこの畑から作物をいただくぞ。あれれ? マグレガー爺さんが急に倒れちゃった。やった、これで畑は僕たちのものだ! …と思ったらもっと乱暴な奴がやって来た! トーマス? マグレガー爺さんの遠い親戚らしい。負けるもんか、断固として僕らの畑を守り抜くぞ!
    んんん? 何だかビアとトーマスが何だかいい感じだ…。むむむ、このイライラする感覚は何だろう? ムカつくからトーマスを徹底的に痛めつけてやれ!
    あっ! しまった! ダイナマイトの起爆装置を触って僕らの巣穴がある木を爆破しちゃった。ついでにビアの家も壊してしまった。ビアはトーマスのしわざと思い込み、かんかんになっちゃった。絵をやめてここを出ていくつもりらしい。
    ビアを引き留めたい。こうなったら、落ち込んでロンドンに帰っちゃったトーマスを連れ帰ってくるしかない。僕は行くよ、ロンドンへ!」

  • 感想:
    日本人ならおそらくキャラクターを、そしてイギリス人なら誰もが絵本を知っている「ピーターラビット」の初の映画化。「ベイブ」を担当したスタッフによるCGを駆使したピーター達のリアルな動きと、原作とは少し違ったブラックジョーク・テイストが見ものである。

    お調子者のピーター、彼のかしましい3匹の妹たちとおっとりしたベンジャミン、世話焼きのハリネズミのティギーおばさん、歌が大好きなスズメたち、朝夕に「もう人生は終わりだ!」とトキの声を上げる雄鶏JWルースター2世(吹き替え版では怪優千葉繁氏が声を当てていて笑える)、見栄っ張りなブタのピグリン、ヘッドライトを見つめると動けなくなるのんびり屋のシカのフィリックス、ロンドンでピーターとベンジャミンを案内するポーターの格好をしたネズミのジョニー。生きてる本物か?と見まごう彼らが、イギリスの片田舎とロンドンでドタバタコメディを繰り広げる。

    神経質で動物嫌いなトーマスと心優しい下手くそ絵描きのビアとの間に芽生える恋をことごとく邪魔し、またそのせいでビアが怒って村を出て行こうとすると、思い切ってロンドンへ行きトーマスを呼び戻そうとするピーターのハチャメチャな行動力が楽しい。

    絵本は読んだことがなかったので、劇場へ行くまではムーミンミッフィーみたいなほのぼのした映画かと思っていた。実際には「ピーターラビット」のお話の分量はかなり少なく、ウィル・グラック監督はピーターの父親がパイにされてしまったダークな部分をふくらませて脚本を作ったという。僕は大笑いしたが、映画館で僕の前に座っていたカップルは笑うに笑えなかったのか何だか気まずそうにしていて、気の毒だった。

    ピーターとトーマスの畑での戦いは「プライベートライアン」のパロディで笑える。また、トーマスのブラックベリー・アレルギーの下りでは、ピーターが観客に向かって「でも抗議のお手紙を寄こすのはやめてね!」とメタ的ギャグを吐く。イギリスはこういうブラックジョークも混じった作品を大真面目に作るから面白い。

    2021年に続編「ピーターラビット2/バーナバスの誘惑」も作られている。現在Amazonプライム・ビデオで2作とも配信されている。2も機会をみて見たい。

    ピーターラビット(吹き替え版)
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    ピーターラビット2/バーナバスの誘惑(吹き替え版)
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映画「PLAN 75」感想

  • 2022年、日本・フランス・フィリピン・カタール
  • 監督・脚本:早川千絵
  • 主な出演:倍賞千恵子磯村勇斗河合優実、ステファニー・アリアン、たかお鷹、串田和美

  • あらすじ(「映画.com」から引用):
    少子高齢化が一層進んだ近い将来の日本。満75歳から生死の選択権を与える制度「プラン75」が国会で可決・施行され、当初は様々な議論を呼んだものの、超高齢化社会の問題解決策として世間に受け入れらた。夫と死別し、ひとり静かに暮らす78歳の角谷ミチは、ホテルの客室清掃員として働いていたが、ある日突然、高齢を理由に解雇されてしまう。住む場所も失いそうになった彼女は、「プラン75」の申請を検討し始める。一方、市役所の「プラン75」申請窓口で働くヒロムや、死を選んだお年寄りにその日が来るまでサポートするコールセンタースタッフの瑶子らは、「プラン75」という制度の在り方に疑問を抱くようになる。

  • 感想:
    年金受給年齢引き上げや定年年齢引き上げ、そして2016年に発生したやまゆり園障害者大量殺傷事件に触発されて作られた、実際に日本が抱えている少子高齢化問題に向かい合った作品である。早川監督(これが初の長編映画だという)がインタビューで語っている通り、日本では近年「自己責任」という嫌な響きの言葉が次第に幅を利かせるようになっている。市井の人々がSNSや匿名掲示板で言うのならまだしも、著名人や政治家までもがおおっぴらに言い出しているのだから脅威だ。(古くは故・石原慎太郎氏の障害者に対する「ああいう人らに人格なんてあるのかね」発言がある。) 本作はそれらへのひとつの応答であろう。

    しかし、映画は取り上げた問題への解決策をあえて示さず、倍賞千恵子演じるミチの選択、そしてヒロムやマリアの行動で、観客おのおのに考えさせる作品作りがなされている。

    プラン75が始まってから3年、市場効果は1兆円が期待され、今後は年齢上限を65歳に引き下げることも検討中、と作中でテレビニュースが言う。つまり、高齢者を始末すれば介護費が節約できるだけでなく、官民ともども潤うというのだ。こういった情報を公に流す社会は、「死にたくはないですか? 迷惑をかけているというご自覚はおありですか? でしたらどうぞプラン75へ!」と呼びかけているようで、うすら寒い。

    プラン75に抵抗を示す人々も描かれる。PRする映像をテレビのプラグごと引っこ抜いて消す老人、ヒロムがポスターを貼っているところにトマト?をぶつけて去るバイク(姿は見えない)。何より、主人公のミチは78歳にして解雇されてもなお働こうと冬の深夜の交通整理アルバイトまでやった。

    政府のコールセンタースタッフである瑤子は、対象と会ってはいけないというルールを破ってミチと直接会い、二人でボウリングを楽しんだりする。ミチに感情移入してしまった瑤子は、最期の電話を切る時に涙声になる。「この仕事は辛いから途中で辞めていく人も多いんですが…」と話す上司?の言葉を聞きながら視線を固まらせる瑤子は、今後プラン75の仕事を続けられるのだろうか。

    ネタバレは避けたいので書かないが、ヒロムの選択は人間としては真っ当だと思った。ただ、20年も会っていなかった叔父にそこまで思い入れがあったのはなぜか、という疑問は残った。

    心臓病の娘の手術代を稼ぐためにフィリピンから出稼ぎに来たマリアは、給料がいいからと紹介されたプラン75の終末施設で働く。その際、同僚と遺品整理をし、金目の物をくすねたりもする。死者の尊厳はどこにあるのだろう? マリアはヒロムの決断に手を貸す。おそらくこの後、ヒロムもマリアも厳しく糾弾され解雇されるのだろうが、自らの思いに従って行動しプラン75に逆らった彼らはその方が幸せだ。

    個人的な環境を書くと、私の周囲には老人と障害者ばかりいる。私自身もあと20年経てばプラン75が適用できる歳である。他人事とは思えない問題をこの映画は思い出させてくれた。改めて、「国や他人に支援してもらえる制度は全部利用させてもらい、死ぬまで生きてやる」という決意を新たにした。

    本作は、第75回(2022年)カンヌ国際映画祭「ある視点」部門に出品され、カメラドール(新人監督賞)次点を受賞した。

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「ブレードランナー2049」前日譚

調べたら、前日譚は全てYouTubeで公開されていました。

「2036:ネクサス・ドーン」

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ウォレス社社長アンデル・ウォレス(ジャレッド・レト)の物語。
彼はレプリカント製造を復活させるため、とある計画を練ります。
監督は、「ブレードランナー」の監督を務めたリドリー・スコットの息子、ルーク・スコット。

「2048:ノーウェア・トゥ・ラン」

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アウトローレプリカントモートンデイヴ・バウティスタ)の物語。とある少女と出会い、お気に入りの本を見せるが…。「人間に憧れるレプリカント」の存在を短いながら表しています。監督は同じくルーク・スコット。

ブレードランナー ブラックアウト2022」

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核爆発を誘導し「大停電」を起こすネクサス8たちの物語をアニメーションで描きます。
監督は、「マクロスプラス」「カウボーイビバップ」で有名な渡辺信一郎氏です。

映画「ブレードランナー2049」感想

  • 2017年、アメリ
  • 製作・総指揮:リドリー・スコット
  • 監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ
  • 主な出演:ライアン・ゴズリングハリソン・フォード、アナ・デ・アルマス、シルヴィア・フークスロビン・ライトジャレッド・レト、デイヴ・パウティスタ、マッケンジー・デイヴィス、カーラ・ジュリ
  • 受賞歴:第90回(2017年)アカデミー賞…撮影賞・視覚効果賞、他

  • 予備知識~前作「ブレードランナー」(1982年)のあらすじ:
    2019年、人間は「レプリカント」と呼ばれる人造人間を奴隷のように使い、遠い恒星系まで開拓を進めていた。特に「ネクサス6」型は人間と比べ知能も体力も勝るシリーズだった。ただ一つ、安全装置として組み込まれた4年の寿命を除いては。
    ある日、4体のネクサス6が宇宙船内で反乱を起こし、人間達を惨殺して地球へ逃亡。ロサンゼルス市警の警官でありレプリカントの始末が専門の「ブレードランナー」であるデッカードは彼らを追う。事情聴取のためレプリカント製造元のタイレル社を訪れたデッカードは、そこでレイチェルという美しい女性と出会う。デッカードは彼女を心理検査し、彼女もまたネクサス6であることを知る。
    自分を人間だと信じ込んでいたレイチェルは、不安に駆られてデッカードのもとを訪れ、自分の記憶は社長タイレルの姪の記憶を移植したものであると教えられ、ショックで姿を消してしまう。
    逃亡犯のネクサス6達がデッカードの前に次々と現れる。彼の危機を救ったのはレイチェルであった。タイレル社から逃亡した形の彼女はデッカードのアパートに身を寄せることとなる。互いに芽生える愛。
    一方、逃亡中のネクサス6は一計を案じて直接タイレル社長のもとへ潜入し、寿命が延ばせないことを知り彼を殺す。
    彼らと対峙するデッカード。戦いはネクサス6側の一方的な有利に進み、デッカードは絶体絶命となるが、死期を悟ったネクサス6は彼を救い、機能停止=死亡する。
    同僚たちの手がレイチェルに迫るのを恐れたデッカードは急ぎ彼女と逃げようとするが、なぜか見逃されたことに気付く。二人はいずこかへと逃亡するのだった…。

  • ブレードランナー 2049」のあらすじ:
    その後、タイレル社はネクサス6の開発に関して世論の鋭い批判を浴び、倒産した。また、犯人は不明ながら核爆発が起き、それが発する電磁パルスにより引き起こされた10日間の「大停電」によって、あらゆるデジタルデータは消滅ないし破損していた。
    タイレル社を買収したウォレス社は、法律で製造を禁止されていたレプリカントを改良し、より高度で人間に従順な「ネクサス9」型を開発し、世界は再びレプリカントを使役するようになっていた。そして反抗心の強い旧モデル「ネクサス8」は「解任(抹殺)」される運命となった。
    ロサンゼルス市警のブレードランナーでありネクサス9のKは、とあるネクサス8を「解任」した際、彼の住居そばに立っていた枯木の下に隠されていた骨を発見する。調べると、それは出産の痕跡のある女のレプリカントの骨であった。レプリカントに繁殖能力があるというのは前代未聞の発見であり、Kの上司ジョシは、社会の混乱を防ぐため、この件に関する全ての情報を消去するよう彼に命令する。
    Kはウォレス社にかろうじて残っていたデータから、遺骨の主は逃亡して行方不明となっていたレイチェルと呼ばれるネクサス6であり、当時のブレードランナーデッカードと恋仲であったと知る。
    解任したネクサス8の住居を再び捜索したKは、木の根に「6-10-21」と彫られているのを見つける。その日付=2021年6月10日は、Kのあるはずのない「幼い頃の記憶」である木馬に刻まれていた数字と一致していた。DNA鑑定をすると、同一のDNAを持つ男女の子供が存在する、と判明した。そのあり得ない情報を元に、子供の最後の行き先と記録されていた孤児院に向かったKは、「記憶」と完全に一致する場所と木馬を見つけ、不安にかられる。
    Kは、レプリカントに模造記憶を作り与えるのが仕事のアナ・ステリン博士のもとを訪ね、「記憶」の真偽を鑑定してもらう。結果、それは植え付けられた誰かの記憶であった。自分は人間かもしれないという一縷の望みを抱いていたKは、感情を激しく爆発させる。
    一方、ウォレス社の社長ウォレスは、ロストテクノロジーであるレプリカントの繁殖能力を手に入れレプリカントをより多く製造するために、手下であるネクサス9のラヴに行動を命じる。ラヴは市警に侵入してレイチェルの遺骨を奪取したあげく、ジョシをも殺害する。
    時を前後すること少々、「レプリカントの出産に関する記録は消去した」とジョシに嘘の報告をしたKは、愛玩AIのジョイ(若い女性のホログラムとして現れる)と共に逃亡。木馬の材質を分析して知ったラスベガスへ飛んでいた。そこで彼は、養蜂を営みながら孤独に暮らしていたデッカードと出会う。彼は、産まれた子供とは会っておらず、子供はとある組織に安全にかくまってもらった、と告白する。そこへラヴの部隊が急襲し、デッカードは連行され、ジョイは破壊される。
    満身創痍のKを救ったのは、レプリカント解放運動を進める一味であった。彼らの話から、レイチェルとデッカードの間に産まれた女児は、自分に植え付けられた記憶の本来の持ち主であるアナ・ステリンであるとKは悟る。解放運動のリーダーは、自分たちの情報が漏れることのないようデッカードを殺して欲しい、とKに依頼する。
    一方で、デッカードを拉致したウォレスは、娘と会わせるのを条件に解放運動の一味の居場所を彼に問いただす。口を割らないデッカードをラヴは宇宙(オフワールド=地球外植民地)に移送することとする。その行程をKが襲撃する。死闘の果て、Kはラヴを倒し、デッカードを救う。
    デッカードをアナ・ステリンのいる研究所に案内し、雪の降り積もる中、自らの傷を見て死期を悟り、ゆっくりと地に横たわるK。そしてデッカードは、成長した我が娘と数十年ぶりの再会を果たすのだった…。

  • 感想:
    1982年に公開された「ブレードランナー」は、SFファンのみならず多くの映画ファンに衝撃を与えた。陰鬱な未来都市の光景、人間に憧れるレプリカント達、ハリソン・フォード演じる孤独な主人公デッカードの魅力、レイチェルとデッカードのその後はどうなったのか、等々…。奇才フィリップ=K=ディックの原作小説「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」は一躍有名になり、映画とともに議論の的となった。今では「ブレードランナー」は歴史的傑作であると評価が定まっている。その35年ぶりの続編であり、製作・総指揮は前作の監督を務めたリドリー・スコット、監督はあのSF大作「メッセージ」のドゥニ・ヴィルヌーヴということで、本作「ブレードランナー 2049」への期待は大きく、また不安も映画ファンの間で当初根強かった。
    結論から言うと、私にとっては満足のいく出来であった。(上映時間3時間弱は少々長いが。実際、映画館で観た時にいびきが聞こえた。)
    他人の記憶を植え付けられたからこそ生きるのに必死になる、ライアン・ゴズリング演じるKのストイックさとたまに見せる激情。そしてKが唯一心を許していた、アナ・デ・アルマス演じる愛玩AIのジョイの健気で可愛らしいことといったら。ラヴが送ったスパイの売春婦の身体にジョイが乗り移ってKを慰めるシーンはちっともエロティックでなく、むしろ哀しみさえ感じられた。人間もネクサスシリーズもAIのジョイも、生への渇望には変わりがないのである。
    彼らの生きる2049年のロサンゼルスは、前作よりは若干スマートなものの、相変わらず立体映像の広告が輝く雑然とした大都会。それと対照的に、ハリソン・フォード演じるデッカードが隠れ住んでいたラスベガスは、鬼才シド・ミードがデザインした美しくも先の見えない黄金色の砂漠。
    ひと目見て「老いたなぁ、ハリソン・フォード…」と嘆息したものの、彼のいない「ブレードランナー」もまた考えられない。
    拉致されたデッカードの口を割らせるために、ウォレスはレイチェルそっくりのレプリカントを用意するが、ここのシーンでは、俳優の顔面に前作の映像をCGで重ね、またレイチェルを当時演じたショーン・ヤングモーションキャプチャーに協力しているという。これらを聞くだけで、前作のファンである私はわくわくしてしまう。
    唯一「惜しいな」と感じたのは、ラヴの最期であった。市警に侵入して刑事とジョシを殺害し、Kとデッカードを襲い、ジョイの宿る装置を足で踏みつけにして破壊したほどの凶悪な敵役であったから、できれば溺死ではなくもっと酷い目に遭って死んで欲しかった。
    本作はデッカードが成長した娘に会えたところで終わるが、ウォレス社長は未だ健在であり、またKを「この人間もどきめ!」と罵倒していた人間達もまだ今後いるのだろう。そういった後に引く要素の解決も見たかった、とも思う。
    音楽も良かった。前作はヴァンゲリスの壮大なシンセサイザーの音楽であった。一聴して「本作もヴァンゲリスか?」と思いきや、別な人が担当していた。テイストが非常に似ていて、重低音が効いた良いBGMであった。
    調べると、本作の製作にあたって先行して3篇の短編映画が作られたらしい。劇場公開はされなかったようなので、前作との間を補完する内容だというこれらを、何とかして観てみたいものである。

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映画「フィールド・オブ・ドリームズ」感想

  • 1989年、アメリ
  • 監督:フィル・アルデン・ロビンソン
  • 主演:ケヴィン・コスナーエイミー・マディガン、ギャビー・ホフマン、ジェームズ・アール・ジョーンズレイ・リオッタバート・ランカスター、ドワイヤー・ブラウン

  • あらすじ:
    トウモロコシ作りを生業とするレイ・キンセラは、ある日自分の畑で「それを作れば彼はやって来る」という不思議な声を聴く。ひっ迫する家計を顧みず、その「お告げ」に従いレイは畑をつぶして野球場を作る。すると、50年も前に八百長疑惑で球界を追われ失意のうちに死んだ「靴なし」ジョー・ジャクソンが現れる。ジョーに続いてトウモロコシの間から続々と現れる往年の選手たち。しかし今度は「彼の痛みを癒せ」との「お告げ」が。レイは「彼」とは隠遁している作家テレンス・マンだと気づき、遠くボストンに住むマンのところへ向かう…。

  • 感想:
    家族と野球を愛するすべての人々へ贈る映画、とでも言おうか。
    レイには、成績のパッとしなかった元野球選手の父と青春時代に仲たがいし、再会したのは葬儀の時だったという苦い思い出があった。自分の畑を野球場にし、「靴なし」ジョー・ジャクソンを呼び、テレンス・マンをはるばる招き入れ、最後に若かった頃の父と出会うというストーリーは、とても幻想的で心が温まる。
    レイが父に言う「父さん、キャッチボールしないか?」には、涙腺の弱い人は泣けてしまうことだろう。
    他にも私が気に入ったのは、野球場の大スクリーンに出たメッセージを見たのは俺だけだったとレイが思いテレンス・マンと別れた、と思いきやマンが道をふさぎメッセージの言葉を一言叫ぶところや、1回だけ試合に出てその後球界を断念して医師として働き70年代に亡くなったはずの紳士~往年の"ムーンライト"~が青年の姿でレイの車をヒッチハイクするところ、そして彼がレイの娘カリンの急病を治すため元の老人の姿に戻ることをいとわずグラウンドの線を踏み越えるところ、などであった。
    妻アニーも、反戦運動ウッドストック音楽祭の60年代を経験した陽気で自由な女性で、マンの著書を禁書としようとする婦人にぐうの音を言わせてはしゃいだり、自宅と農地が差し押さえされる危機にあってもレイが旅に出るのを後押しする。
    そしてカリンは「畑を売ることはないわ、大勢の人たちがここに来るわ」と予言めいたことを言い、ラストシーンではその通り、宵闇の中野球場を目指しやって来る車のヘッドライトの行列が輝くのである。
    人生の中では後悔することもやり残したこともあるが、野球場を作るとまではいかずとも、まだ残りの時間でやれることがあるに違いない、そんな思いを抱かせる映画だった。

    なお、この映画で作られたトウモロコシ畑跡の野球場はそのまま現在に至るまで残されており、映画ファンが集まって野球をしているとのことである。

    この映画は第14回(1991年)日本アカデミー賞外国作品賞を受賞し、第62回(1990年)アカデミー賞作品賞・脚色賞・作曲賞にそれぞれノミネートされた。

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